先日は誕生日で、出演者のみなさん、スタッフのみなさんにお祝いしてもらいました。ケーキおいしかった^^

メッセージをくれた方、ありがとうございました。これからも頑張ります。
さて、これまでに高知、福岡、松山で桜が開花しました。
さすがに10日に高知で開花したと聞いたときは正直ビックリしましたが、条件次第ではこういうこともあるのですね。
高知と言えば、今、坂本龍馬がブームです。自分も彼が大好きです。

(もう20年前、、、表紙は変わってるみたい。)
彼は近代日本の黎明期を支えた英雄ですが、”気象予報士”でもあり、優れた”お天気キャスター”でもありました。
江戸末期という時代ですから、もちろん今の様な気象機器などありません。
彼は船乗りで、船乗りならば空、海、風の状態を見て天気を予測する観天望気は必須でしょうが、元々小さい頃から空を読むのが得意で、高知で育った彼は特に嵐の予測が大好きだったそうです。(高知は昔から台風がよく来襲し、風速の記録などもあります。)
天気を読み誤り、海で遭難死する者が多かったこの時代に於いては、生き抜いて事を成すために、この能力は絶対に必要なものであったのでしょう。
海援隊の前身、亀山社中設立に尽力した池内蔵田も、長崎から薩摩藩へ船を回航中、台風に遭い海難死しています。
龍馬が脱藩する前、長州藩の倒幕運動の実際を見に行くというとき、長州船の住吉丸で初めて船頭をやりましたが、その時ちぎれ雲を見て「今夜は大風だ」と予報して、航路を変更して避難させたり、また幕府の第二次長州征討時に巌流島沖で、龍馬が霧を味方に海上戦を制した話も有名です。
また脱藩後、千葉道場にいたころは、よく南風を読んで「敵は嵐だ。昼には来るぞ。」と、道場の若者総出で町中に呼びかけて、雨戸に釘を打ち、窓に板を打ちつけて防災を呼びかけたそうです。
すると実際に大風、大雨の大嵐がやってきて数時間吹き荒れるのですが、街はほとんど被害がなく、みんながお礼に来るとすでに龍馬は出かけてしまっていつもいなかったとか。
当時も漁師や農家など、天気を予測する技術を持っている人はいたかもしれません。
しかし、それをみんなに呼びかけて風防ぎの作業をさせ、広く災害を抑えるという発想は、今でこそ当たり前ですが、当時にしてみたら珍しい活動であったようです。
「天気を予測し、広く知らしめる」、正に天気予報、お天気キャスターの原点がここにあるように思いました。
さて、今日は下り坂。

今週はすっきりしない日が多そうです。